水を掬すれば月手に在り

自分が感じたことや伝えたいことを物語や時にはコラムのように綴りたい思います。

時には友達。

 

 大人になってから一人でいることが増えた。仕事を終え、一人で乗る山手線。昔はこの山手線にも一緒に乗るやつらがいたなぁ、なんて事を考えたり、自分の不安について考えたり、時には本を読んだり、まだ24歳の僕はすっかりまっすぐ家に帰る癖がついていた。

 

 仕事の休憩中、スマートフォンを見ると珍しく大学の友達から誘いが来ていた。腰の重い僕はすごく行こうか迷ったが、こんな機会もこの先滅多にあるわけではないか。と誘いに応じてみることにした。

 

 渋谷の汚い居酒屋、ヤニ臭い店内、隣の大学生がマールボーロのアイスブラストを吸っていた。最近、すっかり食事に気を使い、運動習慣のついた僕にはその煙が自分の身体の中を巡り、僕の細胞にダメージを与えているのではないかといささかの嫌悪感を抱いた。

 

 先に着いて飲んでいた友人二人は僕に気づくと笑顔を見せてくれた。ほんの1000日くらい前はいつものように一緒にいた彼らも当時の面影は残しつつ、大人の男の顔つきになったように見えた。

 

 席に着いて話しをすれば、当時のようにやはり女性の話題が多い。どんな人間を相手に話すときでも男同士であれば、もはやそれは挨拶のようなもので会話の入りがスムーズに行く。しかし学生の頃の僕は恋愛ではいつも一発KOか良くても判定まで粘るがやはり負けていた。いやむしろ試合すら出ていなかったのではないかとここ最近では思っている。そんな僕は同時、恋愛の話をする度にそれに共感できるだけの経験と恋愛相談で友人にアドバイスできるほどの判断材料を持ち合わせていない自分をいつも呪い、何処か疎外感すら感じていた。

 

 しかし今回は友人の恋愛話を聞き、なぜか少し暖かい気持ちになった。昔の自分では考えられないほど相手の話を素直に聞き、喜ぶことができた。その理由は自分でもわからない。別段、僕に恋人ができたわけでも恋をしているわけでもない。ただそれは彼らの顔を久しぶりに見て、何処か安心したのかもしれない。その理由ははっきりとわからないが、今、僕は少し満たされている。自分の不安症な性格からくる恐怖や不安で毎日少し怯えていたけれど、今は少しだけ満たされている。

 

 ただそれだけなんだけど、それはすごく幸せなことなのではないのかな。と思う。

 

 自分は一人が好きな人間だと思っているけれど、やはりこんな僕でも心の片隅で人との繋がりを求めているのだと実感した。

 

 いつまでも枯れることなく今日のことは僕の心に咲き続けるのだろう。