水を掬すれば月手に在り

自分が感じたことや伝えたいことを物語や時にはコラムのように綴りたい思います。

男の存在感

 

秋の夕方、太陽は沈み、往生際の悪い夏の大気をまだ少し孕んだ昼間とは打って変わり、空気は少しだけ冬の訪れを感じさせていた。

僕は友人ととあるカフェに足を運んだ。
そこは丸眼鏡にハットを被った、感じの良い初老の店主が一人で営むカフェで、店の雰囲気にはいささか似つかわしくない僕たちのような若者も分け隔てなく店に迎え入れてくれた。

店内は二名がけのテーブル席が四つとカウンター席が四つほどのオレンジ色の優しい灯りが特徴的なこじんまりとした空間だった。

僕は当初、エスプレッソドリンクを期待して店に入ったのだが、その店はコーヒーをハンドドリップでマスターが一杯一杯丁寧に淹れていて、メニューにもドリップコーヒーやカフェオレなどシンプルなものしか記されていなかった。

僕はとりあえずメニューに記されているアフリカ豆を使っているその店のおすすめメニューを注文した。
支払いをする際に、僕は最近変えたばかりの不慣れな財布のせいでもたついていたのだが、マスターは嫌な顔一つせずに私の支払いを待ってくれた。
支払いを済ますとマスターが僕に優しく一言声をかけてきた。
「手編みですか、かっこいいですね」

それが財布の事だと気づくのに少し時間がかかったが、僕は自分の財布を褒められたのが素直に嬉しかったので、「ありがとうございます。古着屋で買った安物ですけど」と返事をした。

その財布は先日、財布を落とした僕が後釜として、川崎の古着屋で買った一昔前の冒険家の小銭入れよろしく、革製で金属でできたボタンに紐を巻くタイプで、友人に見せても鼻で笑われるか誰の目にも止まることのない代物だったが、僕はその無骨さが気に入っていた。

僕たちはカウンター席に座るとコーヒーを待つ間、世間話をしていたが、僕の目は壁に掛けられた本棚にある本達に惹かれていた。
そこにある本たちは先程、僕の財布を褒めてくれたマスターの人柄を語っているようだった。
僕はその数ある本から、勝手にマスターの人生に想像を巡らせていた。

当の本人といえば今、僕たちの目の前で黙々とハンドドリップでコーヒーを淹れている、そしてその姿は幾度となく人生の困難にぶつかりながらも自分の信念を貫き、数々の本から知恵を授り、人生をあゆんできた人間にしか出せない強くも優しい魅力があった。

そんな感慨に浸っているとマスターが僕たちの席まで淹れたてのコーヒーを運んできてくれた。
僕はさっそくそのコーヒーを口にした、まず焚き火の煙のような香りが鼻を抜けてそのあとは煙草の燻した葉っぱのような深い苦味とわずかな甘さが僕の舌を包んだ。
その一口から北の荒野を彷徨う冒険家が白い息を吐き、寒さに凍えながら独り、焚き火でコーヒーを沸かしている光景が僕の頭をよぎった。

その味は静かで優しいがたしかに強い存在感がある、この人にしか出せない味だと感じた。

気がつくと僕は「おいしいです」と声に出していた。完全に無意識に発した僕の言葉にマスターは優しく「ありがとうございます」と返事をしてくれた。

そして僕はそれらは人として目指すべき姿でありバリスタとして辿り着きたい味だと感じた。

秋の夕方、まだまだ青臭い僕は少しだけ人生を照らす灯りのようなものを掴めた気がした。

そんな店内のスピーカーからはジミ・ヘンドリックスのギターの音が聴こえてきた。

 

 

 

少し小説風に書いてみました。

多少の脚色はありますが感じた事は全部本当です。